東京都のオンラインマスタークラス「日本語のタネ」の糸川優です。
私が子供の頃には、PCなどないし、娯楽といえばテレビ。
けれども、家庭の方針でテレビが著しく制限されていたこともあって、外遊びが嫌いな私としては、本を読むしか楽しいことがなかったのです。薄暗いところで読んでいると、目が悪くなると叱られながら、隠れてでも読んでいました。
友達のお母さんたちからは、本を読んで偉いねえと、ことあるごとに言われて、それは非常に不本意、友達に当てつけるようなその言い方、いやに持ち上げる大人たちが嫌でした。ドッジボールが好き、戦いごっこが好きというのと、いったい何が違うというのか。実態は、常に、活字に飢えているような状態で、女の子の話だと思って借りてきた『エミール』とか、HHKの大河ドラマで聞き齧った『平家物語』も、わからないままに読んでいたのです。これのどこが偉いのでしょうか。
けれども、今になって思うのです。偶然だとは思うけれど、本が好きだったこと、すさまじいといえる読書量は、今の私の糧となっているのです。
読み書きの基本、知の基本であることはもとより、文字通り、「食う」ための手段ともいえるようになったのでした。
単に、好みの問題ではありますが、結果的には、得したかな、という感じです。
おそらく、保護者が本を読むようにと、しきりと促したとしても、あまり効果はないのではないかと感じます。
幼い頃の読み聞かせも悪くはないですが、読書の習慣とはあまり関係がないように感じます。将来勉強ができるようになるために、などという大人の打算で読書を子供のに強いるのは言語道断、怒りさえ覚えます。そんな読み方で楽しいはずがありません。
強いていうならば、家庭の中に本がある、家庭の中で保護者が本を読む習慣があるなら、自然と子供は本を読む習慣を身につけるようになる気がします。
本は、世界に広がる窓といえるでしょう。
ざっくりとした感想です。