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留学生の日本語クラスはグループワークメイン

東京都のオンラインマスタークラス「日本語のタネ」の糸川優です。

 

私の場合、留学生の日本語は、座学ではありません。教師の役割は、一方的な知識の伝達ではなく、ファシリテーターです。

 

かつて、大学は講義のみ、でした。知っているか、知らないかが重要でした。ゼミでもなければ、講義形式が圧倒的に多いため、大学の教室は、何十人かの教室、大きくなれば何百人レベルの階段教室です。教室といえば、前に黒板と教卓があり、学生たちは全員前を向いて座り、先生の講義をひたすらノートに取るのでした。

 

けれども、時代は変わり、「知」の意味づけも、大学の教育も変化しました。それは、検索が日常となり、知識を蓄えることにさほど意味がなくなったからでしょう。それよりは、そこからどう考えるのか、どう行動するのか、仲間との協働などに焦点があるように思います。もちろん、一方的なレクチャーは健在で、大学では不可欠なものですが、それだけでは済まなくなったというべきかもしれません。

そうなると、教室の形状も従来とは異なるものになります。授業の形式が変われば、形状が変わるのも当然です。会議室のような、お互いの顔が見えるタイプのものを私は好んで予約しています。まあ、語学のクラスですから、言語の基本はコミュニケーションですから、他の科目よりもその傾向は顕著なのだと思います。

 

日本語学校などで語学を学んできた留学生たちには、双方向の授業は目新しいものではありません。

読解のクラスであっても、「その後」を重視して、活発な議論が交わされるのでした。

時代が変わり、一方向のレクチャーの授業だけではなくなった
時代が変わり、一方向のレクチャーの授業だけではなくなった