東京都のオンラインマスタークラス「日本語のタネ」の糸川優です。
去年の後半には、すでに、学生たちは課題が出たら、生成AIに相談することが常識となっていたようです。
あるフルオンデマンドクラスのことです。
長いものを読むクラスで、ざっと見たところ9割以上共通したレポートを提出していることがありました。クラスの半数以上の人です。
使っている事例は2つ。同じもの。順序、文章に現れた場所も同じ。
生成AIは、非常に雑に概観して、無難な意見を書いてくれるので、皆同じになってしまうのでしょう。今のこの時代ですから、私の場合、生成AIを使うことを全面的に禁止することは考えていません。けれども、人間として、生成AIを使うことで、考えることを放棄してしまっていいものでしょうか。
生成AIを使うことを阻まないという意味は、それ以上を求めているということです。
生成AIに丸投げしていいわけがありません。
大学というところは、あなたにとってどんな意味を持つのか。大学というところに、何を求めるのか。
大学が与えてくれるものを待っていて受けるだけなら、大学に来なくてもよかったと思いませんか?
自覚を持って学んで欲しいものだと思います。