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書いたものへの責任と盗用

東京都のオンラインマスタークラス「日本語のタネ」の糸川優です。

 

書いたものには、責任が生じます。

例えば、フェイクニュース。誰が書いたものなのか明示されていないからこそフェイクというわけですが、中には、無責任なことを書く人もいます。それは、内容によっては、弾劾されるべきことです。もちろん、書いた本人が誹謗中傷に晒されていいという意味ではありません。いい加減なことを書けば、批判される、ということです。書いたものは、不特定多数の人が読むわけで、誰が読むか予測を超えています。それだけ、書いた人の責任が重いということであり、慎重にならざるをえない面があります。

どんな意見を言うことも、書くことも、基本、自由だと思います。それが保証される社会であるべきでしょう。ただ、その意見には責任がある、ということになります。それだけ、書くことには重みが伴うわけです。

すると、慎重に、熟考を重ねて書いた成果物を、自分が書いたものであるかのように提示することが「盗用」「剽窃」と言われることの重みがわかるのではないでしょうか。

誰かが書いた貴重な意見を見せたいということはあるでしょう。それならば、きちんとルールに則って、この人が、いつ、ここに書いていると、読んだ人が辿ろうとするなら辿れるだけの足跡を残すべきですね。これが、引用のルールです。

責任ある言論人として、ルールを守りましょう。

書くこと、書いたものの重み
書くこと、書いたものの重み